一線を越えた日(第1章)

【戻れる場所で足踏み】

線は越えた。でも、まだ戻れるか。だからワタシは今日も無口で働いている。中では脂が居座り、細胞は押し広げられ、解毒の流れは少しずつ遅くなっている。それでも外の世界は一見、何も変わらない。

【一線を越えた日】

……ねえ。ちょっと集まって。ワタシは静かに中にいるみんなに声をかけた。脂肪。コレステロール。肝細胞たちに。

「もうね、“預かり”って言えなくなってきた」

脂肪がきょとんとしながら言う…

「え?まだ置けるでしょ?」「空いてるやん」

いや。空いてない。数の問題じゃない、割合の問題。細胞のひとつが、ぽつりと言った。

「ぼくの中、脂で半分以上埋まってます」別の細胞も続く。「こっちも」「ここも」。見渡すと脂の滴を抱えた細胞があちこちにいる。全体の中で脂を抱えた細胞が明らかに増えた。

3割。それ以上。あるいは、1つひとつの細胞の中に5%を超える脂肪。この状態を外の世界ではこう呼ぶ――脂肪肝。

【この頃のヒトの生活では】

朝は食べない。時間がないから。

昼は手早く済むもの。揚げ物、丼、麺類。野菜は「入ってた気がする」。

夜は遅い。一日の終わりにしっかりした味が欲しくなる。アルコールは「ストレス解消」。甘い飲み物は「疲れた脳に必要」。

休肝日?考えたことはある。でも今日はやめた。運動?明日から。……その明日は、何度も通り過ぎていく。

【ワタシはまだ何も言わない】

ヒトは気づかない。少し体が重いとか、疲れやすいとか、その程度。痛みはない。警報も鳴らない。だから今日も言う。「まだ大丈夫」

「様子見で」……うん。今はね。中ではちゃんと変化が起きている。脂肪が多い細胞は解毒が遅れる。処理が詰まる。そのしわ寄せは血液に出て別の臓器に流れていく。

 

でも、ワタシは黙って働く。ここが踏ん張りどころだから。これは正式な入口。今日を境にこの章は名前を持った。軽く聞こえるけど

中身は重い。「脂肪肝」ーーー線は確かに越えた。

 

ワタシは知っている。この生活が続くと脂はただの貯蔵じゃ済まなくなる。傷ついた細胞を守るために体は修復を始める。その修復が硬さを生むことを。柔らかかった組織に少しずつ戻らない場所ができ始めることを。でも、まだ言わないよ。ヒトは今日も言う。

脂肪肝?ちょっと気をつければいいんでしょ」……その通り。今ならね。ただし、立ち止まらなければ…です。

 

ワタシは今日も働く。黙って。耐えながら。次のステージでは「溜まる」では済まなくなる。そのとき、ワタシはもう元の柔らかさではいられない。その言葉はもう少し先で静かに待っている。つづく…