ワタシはまだ終わっていない。
崩れた場所を抱えながら。残った細胞たちも働いている。
ヒトが変わりはじめた日。白いパンを手放し、夜更けのスナックをやめ、水を選び、ゆっくりでも歩きはじめた日。
その小さな選択は確かにワタシへ届く。食事が変わると急に押し寄せていた糖の波は静まり、乱れていた“インスリン”の合図が整っていく。ワタシの中で過剰に回っていた脂肪の合成は減り、溜まっていた脂は少しずつ外へ運び出される。体重がほんの少し落ちるだけでも脂肪と炎症は確かに軽くなる。これは医学的にも繰り返し確かめられている変化。
そして、ヒトが動いた日。筋肉が働くと血の中の糖はそちらへ引き取られ、ワタシは余分な負担から解放される。運動は体重に関係なく肝臓の脂肪を減らし、硬くなりかけた流れをやわらげることも知られている。
今日はなんだかいつもと少し違う。流れてくるものがやさしい。急に押し寄せる糖の波もなく、重たい脂のかたまりもほとんどない。ワタシは慌てなくていい。ひとつひとつを順番に丁寧に処理できる。解毒の流れは澄み、エネルギーの変換も、なめらかに進む。どこにも渋滞はない。血は静かに巡り、細胞たちは無理なく呼吸している——「休肝日だ!」こんなにも軽かっただろうか。残った細胞たちは互いに余裕を持って役割を分け合う。誰も無理をしていない。ワタシはただ本来の仕事をしているだけなのに、それがこんなにも穏やかで、すがすがしいものだと思い出す。
外ではヒトが歩いている。少し汗ばみながらいつもよりゆっくりと。そのリズムがここまで伝わってくる。いい流れだ。このままなら——ワタシはまだ整っていける。崩れるためではなく保つために働ける。静かに、深く。
静かに確実に——ワタシの中の環境は変わっていく。すると、残った細胞たちも動き出す。空いた場所を埋めるように、自分の数を増やし、役割を引き受けていく。これが「再生」という。ワタシはもともと失われても取り戻そうとする臓器だから。
ただし——すべてが元に戻るわけではない。傷が深く長く続いた場所はやがて硬く、動かない組織に置き換わる。そこはもう戻らない。けれど残された場所は違う。負担が減れば、炎症が静まれば、細胞たちは再び整って働きはじめる。
つまり——ヒトの選択は「壊れ続ける流れ」と「持ち直す流れ」を分かれている。ワタシはそのどちらにも応える。やさしい日々が続けば、ワタシは静かに立て直していく。荒れた日々が戻ればまた黙って崩れていく。——それでもワタシは待っている。この再生が一時の出来事で終わるのか、それとも、続いていく流れになるのかを。今日も何も言わずに。(つづく)

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